GNK/ゲシュタルトネットワーク関西

アダルトチルドレンとゲシュタルト・セラピー

アダルトチルドレンとゲシュタルト・セラピー

アダルトチルドレンという言葉は、「子どもの頃に親との関わりのなか傷つき体験があり、成長してからも生きづらさだとか、人間関係の悩みがある人たち」といったような意味を持っています。親がアルコール依存症だったり、DV(ドメスティック・バイオレンス)があるなど、うまく機能していない家庭で育った子どもは、萎縮して自分に自信が持てなかったり、他人との間に適切な境界線をもてないままに大人になることがあります。医学的な診断名ではなく、生きづらさを抱えているその人自身が自己認識をするために用いられてきました。

「私はアダルトチルドレンかもしれない」と気がついた人たちは、その生きづらさをなんとか克服しようとして、自助グループに通ったり、カウンセリングやセラピーを求めたりします。ゲシュタルトセラピーのグループにも、こういった理由で惹かれる人が多いようです。

アダルトチルドレンとゲシュタルト・セラピーについて、いろいろと話し合ってみました。

アダルトチルドレンって?

久松:「アダルトチルドレンって、どんな意味なんですか?」

白坂:「アダルトっていうのは大人でしょう。チルドレンっていうのは子ども。アダルトチルドレンっていうのは、大人になっても子ども時代を引きずっている人たちって言っていいのかと思います」

久松:「うん、もともとはアルコール依存症の親がいる家庭だとか、機能不全家族と言われるような家庭の中で育った子供が大人になったときにアダルトチルドレンと呼ばれるわけだけれども、子供時代を引きずったまま生きているってことなんですね」

白坂:「子供時代のまま時間が止まっていることもある。子どもは身体も小さいし、力も弱いから、親が怒鳴ったり暴れたりしていても、どうしようもできない。親の顔色をうかがいながら身体を小さくして、身をすくめて自分を守るしかない」

久松:「子どもにとって、親のケンカってすごく怖いことですよね」

白坂:「身をすくめて自分を守ってきたから、大人とか、他の人とコミュニケーションとるのが怖くなる。大人になっても、人づきあいやコミュニケーションで、そうした怖さが残ることもあるんです」

久松:「自分はこう思うとか、こうしたい、したくないなんて、なかなか言える環境じゃなかったから、大人になって状況が変わっても同じようなやり方をしてしまうということ?」

白坂:「そうすると怒られたり叩かれたりしたから、自分を表現するなんてことはなかなかできなかったわけ。言わないほうが自分は生き延びられる。だから言わなくなる。大人になっても自分の意見であるとか、自分の気持ちだとか、なかなか言えない人が多いんですね」

アダルトチルドレンと人間関係

久松:「そうすると仕事とか友人との人間関係で困ってくることがあるんじゃないんですか?」

白坂:「困りますよね。相手の言いなりになることがある。あるいは頼りすぎたりしてしまう。尽くしすぎたりしてしまう。これを言うと離れていってしまうんじゃないかということが不安で言えなかったり、言いなりになったりするわけです。本当に自分がしたいこととか言いたいことが表現できないっていう人が多いんです」

久松:「ずっと自分の気持ちやしたいことを言えないでいると、どうなってしまうんですか?」

白坂:「自分の人生を生きられなくなりますよね。人の言いなりになってしまったり、でもどこかで怒りが爆発したり。我慢して生きてきて、急に相手に怒りをぶつける人もいます。なんでここまでしてるのにわかってくれへんのって、一方的な思いをぶつけてしまったりするかもしれない。

 細かいところのコミニケーションというか意見や気持ちの交換ができないことが多いです」

久松:「あー、細やかなコミュニケーションっていうところはポイントかもしれない。コミュニケーションってどうしてもフラストレーションが伴うじゃない? 伝わらないとか、ズレたとか、わかってもらえなかったっていう体験。

 それを上手にというか丁寧に伝えようとしたり、それを確認したりなんて言うことがコミニケーションには大切なんだと思う。でもそこに、私はこんなに我慢しているのに全然わかってくれないいつもそうだ、なんていうストーリーが入ってくると、そのストーリーからしか相手が見えなくなっちゃうってことはありますよね。ゲシュタルト療法でいうところの思考や空想の中間領域が膨らみすぎるっていうことかな」

白坂:「なんでもかんでも細かいコミニケーションとったらいいと言うわけでもないよね。流したり、もうしんどいねんな、まぁいいかなんて言うこともときには大事。流せたり、でもここはわかってほしいというところは丁寧に表現して伝えたり」

久松:「緩急をつけるということね。大事なことは丁寧に。適当でいいところは適当に」

白坂:「それができないということは、相手の視点になかなか立てないということにもなるかな。相手はこういう思いで声をかけてくれたんだろうとか、そう受け取れなくて、悪いように考えてしまったり。こういうことって、アダルトチルドレンの人だけじゃなく、みんなあるけれども」

久松:「どうしても他人の顔色をうかがって生きてきた人は、裏を読むというか、勘ぐっちゃうというか、そういったところはあるかもしれない。この人笑ってるけど、本当は怒ってるんじゃないかなぁとか、私のこと嫌ってるんじゃないかなぁとか」

白坂:「なんでそんなふうに受け取るかなっていうことがよく起こってくるけれども、混乱した子ども時代を過ごしてきたから、なかなか素直に受け取れないところはあるかもしれない」

久松:「素直に受け取ったり、素直に自己表現したりすると、痛い目に合うというか、いつお父さんお母さんの機嫌がひっくり返るかわからないぞと思って用心して生きてきたわけだから、どうしても深読みしたり考えたりするところはあるのかもしれないですね」

ゲシュタルト・セラピーから見たアダルトチルドレン

白坂:「ゲシュタルト的には、決めてくださいじゃなくて、自分が決める、自分に選択権があると思うことでエネルギーが戻ってくるんです。相手に任せると、エネルギーがなくなってしまう。もちろんそれもありなんだけれども、でも私が決める、私がこうしたい、私はこうする、そういう選択をすることで自分の人生を生きることができるようになるんです」

久松:「百武さんが前に言っていた、ゲシュタルトの第一原則は他人を見下すことだ、ってことと同じ? 俺がいちばん。人の言うことは聴かない(笑)」

白坂:「そうそうそう。まぁね、あれは面白おかしく言ってたわけだけれども、結局人生そういうところはあるよね。こないだも目を合わせるエクササイズをしたけれども、誰が誰を見ているのか、私がこの人を見ているのか、それとも見られていると感じるのかで、体験がずいぶん違ってくるじゃない」

久松:「うん、あれは面白かったな。5分ぐらいただペアになって黙って見合わせると言うエクササイズをやったんでした」

白坂:「あれでも明らかでしょう?見られているときと、見ているときのエネルギーの違い。見られていると思うとエネルギーがなくなるけれども、私が見ていると言うときにはエネルギーがありますよね。見られていると思うと目を逸してちっちゃくなっていくけれども、自分が見ていると相手と同じエネルギーを持てるし対等に会える」

久松:「対人恐怖や社交不安の人たちが、人に見られているのが怖いとか恥ずかしいと感じるのも同じですね。中には自分の視線が人を傷つけるんじゃないかと思って怖いって言う人もいるけれども」

白坂:「そうそう。見ないから怖くなるんだっていうこと。見ないから想像が膨らんで恐ろしくなってくる」

久松:「アダルトチルドレンと言われている人たちは、ゲシュタルトセラピーを体験すると割と相性が良いというか、得るものが大きいような気がするんだけれどもどうですか?」

白坂:「はっきり言うからよ。ゲシュタルトのセラピストは、現象を捉えてそれをはっきり伝えると言うことをするから。変な傾聴と共感ではなくてね。うんうんそうなのねってずっと言われ続けていると、かわいそうな世界に生きている私と言うストーリーをどんどん強化してしまうから」

久松:「アダルトチルドレンもトラウマもどちらもともすればひどい目にあった私とか気の毒な私といった物語になっちゃうこともあるじゃないですか。もちろん自分の人生や体験を振り返って、私が悪いと思っていたけれどもそうじゃなかったんだって気づくきっかけとして、アダルトチルドレンの物語が役にたつことだってあるわけですけれども、どこかでそこから抜け出ていくことも大事になってくる」

白坂:「ちっちゃい時に辛い思いをしたと言うのは確かにあるんですよ。そこはゲシュタルトセラピストも寄り添っていく。でも最終的には自分の人生において自己決定ができるようになるっていくことが目的なんですよね。どんな人生であろうが自分で決めていくっていうこと」

久松:「自己決定って、自分の人生に責任を取るということでもあるんでしょう? 自分で自分の人生を決めて、その責任を自分で引き受けるっていうこと」

白坂:「そうそう。みんなの言うこと聞いてたら自分なんて存在が無くなっていくやんか。人は評論家だからいろんなことを言いますよ。自分の人生じゃないのでいろいろ言ってくる。もちろんためになるなと思うことは受けれたらいいけれども、そうじゃないことは取り入れなくていい」

久松:「そういうところがあるからアダルトチルドレンの人たちにとってゲシュタルト療法がいいところがあるんだな」

白坂:「それから頭だけじゃなくて身体にアプローチしていくから、そこが自己一致につながりやすい。人の目を借りて人の考え方や価値観で生きていると自己一致できなくなるでしょう。人の目を借りて世界を見ているとそうなる。ゲシュタルトのファシリテーターはその現象を伝えられるかどうか。たとえば、あなたはお母さんの目で自分を見ているよねって。もちろん辛かったことには辛かったねって共感もするよ。でも今ここで起こっている現象をちゃんと伝えるっていうこともするよね。今、小さな声を出すことで、周りの人たちを引き寄せているよね、とか。それは小さいときの戦略としては有効だったわけです。それで生き延びてきたから。だからそれも大切なんですよ。でもそれとは違う健康な大人の部分で他人と関われるんだということも学んでいかなくちゃいけない。そうじゃないとずっと弱くないといけなくなる」

久松:「そりゃあたまには人に頼ったり泣いたり甘えたりするって言うこともやれたらいいけれども、健康な大人としても関わることができる。それも選択できるっていうことが大切なんだろね」

白坂:「そう。自分の人生だからどう生きようといいんだけれども、自分でそれを決めたか、例えば私は人に頼って生きていくんだって自分で決めたんだったらそれはそれでアリかもしれない。それはそれで能力だから」

久松:「結局人も生き物もこう生きるのが正解だっていうことがないから、これだけ多様な生物が地球に存在してるんでしょうね。だから人間だって、他人に頼って生きるっていうのもアリだし、そういう人とは関わりたくないっていうのもアリだし、生き方に正解ってないんですね」

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