
白坂和美(ゲシュタルトネットワーク関西)
筒井優介(しまんちゅルーム)
梅村朋子(カウンセリングルーム樹喜)
久松睦典(かささぎ心理相談室)
フォーカシングと言葉
久松「今日は大阪の心斎橋でゲシュタルト療法のプレトレーニング、気づきのワークショップが開催されました。その後でスタッフで打ち合わせのために集まっています。今日はここで、池見陽先生にフォーカシングやジェンドリンの思想を学んだ臨床心理士の筒井優介さん(つっつん)に、『フォーカシングから見たゲシュタルト療法』について聴いてみようと思います。筒井さんは、The International Focusing Institute認定トレーナであり、ゲシュタルト療法のトレーニングも積んでいる人なので、両者の似たところや違いについて興味深い話が聞けるんじゃないかと思っています。またゲシュタルトネットワーク関西代表の白坂和美さん(かずりん)には『ゲシュタルト療法から見たらフォーカシング』について聴いてみます」
(録音を始める前に、つっつんが、フォーカシングはより言葉の意味に焦点を当てる。ゲシュタルトは生理的な身体に重点を置く、というような話をしていました)
白坂「そやけどな、言葉ってそのものの言葉じゃなくて言葉の意味やろ? それはゲシュタルトでも一緒で、阿呆っていうのが好きって言うことを意味することだってあるでしょ?」
梅村「つっつんがね、フォーカシングはより言葉やねんっていうときの私の理解はこう。池見さんが定行さんと福岡でコラボのワークショップをなさった、あのとき一番最初にやったちょっとしたワークが印象に残っていて。今ここで感じているこの感じを言葉に表していくとみたいなことをペアでやったんです。フォーカシング的には、言葉を与えた途端にそういう現実が立ち上がってきて、またそれを吊っていくから、ずっと固定じゃない。当てはめてみたけれども何か後で響かせて見るとこれじゃなくてこっちみたいな。だけど言葉を与えた途端に今のその瞬間の現実になるみたいな、私はそういう理解をしたの。だから身体の感覚は使っているんだろうけれども、ゲシュタルトの身体に聴いてみるというのとちょっと違うなというのが私の印象」
筒井「それがね、ゲシュタルトから見ると中間領域のおしゃべりと言うように捉えられる場合があるわけよ。フォーカシングのEXPで見るとどんどん進んでいっているように見えるんだけれども」
白坂「それは違うな。と私は思う笑。だって言葉しゃべるときも身体を使っているわけでしょう? 自分が名前を呼ばれるときに、小さいときの名前と、今の名前を呼ばれるのでは感覚が違うじゃない。そういう意味で、言葉をしゃべると言うこと自体、身体を使っている」
筒井「答えになるかわからないけれども、フォーカシングってあえて身体にいかなくてもできるから。まぁそりゃショートフォームで言えばフェルトセンスを感じましょうみたいな手順はあるけれども、池見先生のアニクロに代表されるように、別に身体の感覚はどうですかと聞かなくたって自分で自分の状況言いたいこと言い表して、そこからふりかえっていくこともできる。ゲシュタルトの人たちは、なってみましょうという方向に持っていきたがる。やっぱり聞き方が全然違う。私はそうじゃなくて、例えばワニだったらワニの生態系を辞書で調べてみるとか、池見先生もよくやってるけど、写真を引っ張ってきてこういう風な感じだよねってやる。そこが理解のあり方が全然違う。
でもそういうのをゲシュタルトで使うこともあるじゃない? 百ちゃんが意味理解のほうに持っていったりすることがあるのは、フォーカシングに近いなと思うけれども」
*アニクロ:crossing with animals. 詳細はこちら
ゲシュタルト療法との違い
白坂「それはさぁ、フォーカシングとかゲシュタルトというところを超えてるからさ」
筒井「超えたら違いがわからへん。根本的に笑」
久松「まぁいろんなところで関わり方の違いはあるけれども、ここに焦点を当てているのがゲシュタルト、このあたりがフォーカシングっていうその違いは多少意識してもいいんじゃないかな」
筒井「一緒だって言ったらemotion focused(EFT)とも同じになるからさ。違いを理解した上で、使い分けるとか、じゃぁ私はここを使うと言うふうにいいとこ取りをするでやったほうがいい」
白坂「哲学があるかないかと言うところが大きいのかと思う、折衷的な方法になると哲学がないでしょう?」
梅村「emotion focused って何?」
筒井「えーとね、フォーカシング的な感情やフェルトセンスの理解をしながら、エンプティーチェアを使ったりするの」
梅村「で結局、つっつん考える違いっていうのは何? ゲシュタルト的な焦点の当て方と、フォーカシング的な焦点の当て方の差異と言うのは何?」
筒井「もとに戻るけれども、ゲシュタルトの方が身体を見る、私たちがここに存在しているよねって言うような肉体的な体。ジェンドリンは、明らかに私たちがボディと言ってるような生理学的な身体とは違うんですと主張している。皮膚の内側ではない(正確には「皮膚という封筒の中身ではない」;Gendlin, 1978)とジェンドリンは言う。それは外に感じることもできるって言う風な言い方をしている点では、身体の感じの使い方が、ゲシュタルトとフォーカシングではやっぱり違う」
梅村「外に感じることができるっていうのは?」
筒井「身体の違うじゃなくて例えばこの辺、胸の前にあるんです、なんて言う独特なフェルトセンスの表現の仕方ができるのがフォーカシングだと思う。ゲシュタルトはもうちょっと生理的な反応レベルで扱っている気がする」
白坂「それはちゃうな」
久松「ことごとく反対するな笑」
白坂「それはちゃう笑。ゲシュタルトでも、身体の外にこんな感じがあるなんて言うことも聞いていくと思う。クライエントの距離感を尋ねたりしながら。そこにある外にあるっていうのはどういうことって聞くかもしれない。その意味とはどういうことかっていうことを知りたいから。ファシリテーターをしていて興味が湧いてきたことには、それはどういうことって」
梅村「そこにその感覚があると言うことの意味そのもの問い掛けることがあると言うこと?」
白坂「聞いてみることもあるし聞かないこともある。質問したければすればいいし、したくなければしなくてもいいし」
梅村「フォーカシングってそんなふうに関わっていくことってあるんですか?」
筒井「フォーカシングでは何か違うなっていう感じがする」
梅村「私の理解では、浅いかもしれないけれども、フォーカシングではそれがここにあるって言うことを描写しにかかるのかなと思っている。そこにあるそれはどんな感じですかっていうふうに」
筒井「うん。シックスステップだったらそのままいくでしょう? じゃぁそれが例えて言うならばどんなかたち? っていけるじゃない体の中にあろうが外にあろうか」
梅村「そうしてると意味は自然に浮かび上がってくる」
筒井「質問することによってフォーカサー側のプロセスを止めるかもしれない」
白坂「止めるかもしれへんと思って聞かないことの方が弊害があるかもしれないと思う。ほんまに止めるのんみたいな。そういう意味でゲシュタルトって自由なんよ。聞きたかったら聞くし、聞きたくなければ聞かない」
久松「もともとつっつんはフォーカシングが専門なんでしょ? ゲシュタルトを見てこういうところが面白いなぁとかここがここを取り入れたいなと思ったからトレーニングを受けたんじゃないの」
筒井「初期の頃は、それこそ身体に聞くとか、身体を使って表現するとかそういうところよね。よりダイナミックにアクトする方向、エンプティーもそうだし、そういうところに興味を持ったかな。フォーカシングにはそういうところないし。」
久松「まぁダイナミックさはゲシュタルトのウリではあるな。とくにフリッツ系のね」
筒井「フォーカシングはやっぱり言葉遊びができるし、理論構築のステップのTAE(Thinking at the edge;辺縁で考える)、あれなんかまさしく言葉を用いるんだけれども、その言葉の既存の意味を壊して自分で新しい言葉を作っちゃおうとする、それがやっぱりフォーカシングのプロセスにフィットするんだよっていう、もともとフォーカシングから生まれたものだけれども。それは言葉に対するこだわりを持っているフォーカシングと、アクトとか身体というところに焦点を当てているゲシュタルトはやっぱ違う気がする。相容れないというよりは出発点が違うような。Emotion focusedもあるしフォーカシング指向ゲシュタルト療法なんて言ってる人もいるから、全く違うわけではないんだろうけれども。どっちを意識しているかっていうことは踏まえながらやっていく必要がある、意味はあるかなって感じる。自分が戻ってくる軸としてね」
後半の「ゲシュタルト療法から見たフォーカシング」もよかったらどうぞ。