
久松「子育てとゲシュタルト療法について、GNKのメンバーのしほさんに聞いてみたいと思います。まず、しほちゃんとゲシュタルトの出会いについて教えてください」
しほ「私がゲシュタルトと出会ったのは、第二子を産んだ後でした。夫の転勤で関西から遠方に転居、そのタイミングでとても好きだった仕事も辞めました。その後二人目を出産・・人の繋がりも無く、仕事もなく、毎日赤ちゃんの世話と長女の幼稚園の送り迎えと家事だけ。
元々子供は苦手なほうで、周りのママみたいに上手く可愛がれてない、泣いても優しくあやせない、ままごとも砂場遊びしても本当に苦痛で。一人目はまだ働いていたので、何とか早く職場復帰して、それからは仕事に軸を置いて、流れ作業のように育児していた気がします。一日中子供と2人でいるということがすごく恐怖で、実家に逃げ込んで子供を母に預けてちょっと買い物行ってくるとか、子供と一緒に何かするって言うことに全く自信がなかった。
でも転勤に帯同して、無職、二人目が産まれて、私には子育てしか無いんだって途方に暮れた感じというか。
そのときに、幼稚園にゲシュタルト療法を受けているお母さんたちがたくさんいて、私が辛そうにしていて、誘われたのがきっかけです。最初は何も知らずに行って衝撃でした。幼稚園が主催でお母さんたちのグループカウンセリング(ゲシュタルトのファシリテーターが進行)をやったときに、みんなそれぞれに自分の話をしたら涙が止まらない人がいっぱいいて、私も含めてちょっとこれおかしなことに なってるんやなと気づきました。ただテーマも無く、自分の話をするだけで、聞いてもらうだけで涙が止まらないってどういうことなんやろう。最初はそのくらいしか。」
久松「ゲシュタルトのどんなところが自分にマッチしたと思う?」
しほ「私が出会ったヒロさん(鹿児島のファシリテーター)は、先に子育てにおける基本的な理論を教えてくれたんです。今考えるとゲシュタルトの要素をベースにしていた内容でした。私が子供とままごとをするのが苦手なのはなぜなのか、泣いている子をみて怒鳴りたくなるのはなぜなのか。私は何を子供にしてあげれば良いのか。私は私に何をしてあげれば良いのか。自分のことを話す時、涙が止まらなかったのはなぜなのか。
元々理屈っぽい性格なので、日常の辛さを説明してくれたのが合っていました。母性云々で話されていたら続いてなかったかも知れません。ああ、私に母性が足りないわけじゃないのかもしれないと思うと、それだけで少し楽になりました。」
久松「もう少し具体的な例はある?」
しほ「そうやなぁ、すごく初期の頃に言われたのは、泣いているのに私が子供と一緒にいてあげられないって言ったとき に、しほちゃんの中のちっちゃい子も泣きたいんやと思うわって言ってもらって。なんであんただけ泣いて、私の中のちっちゃい子は泣いたらあかんのって感じるから腹が立ったり、一緒にいてあげられないんじゃないって言われて、ああ、そんなことは考えたことがなかったって。」
久松「そういう出会いだったんだ。その後はどうなったの?」
しほ「私が経験したグループは本当にお母さんばっかり。子供の年齢の違いがあっても一緒に、本当にみんなでワークしてたって感じでした。
私の最初の頃のワークで多かったのは、子供を座布団に置くことでした。そうすると涙が止まらなくなって。ごめんしか出てこなくて、ほんまにごめんね、こんなお母さんでごめん、私がお母さんでごめんとか。
そんなワークをして、チェックアウトをしていると、必ず早く家に帰って子供に会いたいって思っていました。ああ、私ちゃんと子供のことがかわいいと思えてる、大丈夫だと少しずつ、本当に少しずつですが自信が持てるようになりました。それを月一回とか多い時で二回とか3年くらい繰り返した感じです。
後半の1年間は子供のことではなく、母のことと向き合いました。ワークの中で思い出す自分の子供の頃の感覚に気づいて、母のことが見えてくるみたいな流れが続きました。最初は母に向き合うのがすごく怖くて、ワーク途中で母がイメージされるとシャットアウトしてました。ワークをしていて、その言葉誰に言ってる?とか、その声は誰の声だと思うって聞かれたら、「お母さんの声がするからここでワークを止めたいです」ってずっと言ってました。「わかった」ってヒロさんは止めてくれて。母と向き合うと母を批判してしまいそうな気がして、とても怖いなと。
その後しばらくは、体の感覚ことをワークしたり、母には触れずに日常の悩みについてワークをしていて、でももう母の事しかなくなってきて(笑)。自分も他のことをワークしていく中でちょっと自信もでてきて、ゆっくり母と向き合えるようになって。
私と母には境界線がないところがあって、反抗期もなかった。ワーク中、怒るって言う気持ちが母に対して湧いてきたときに、逆に怒りが止められなくなって、ベテランのお母さんが母役になってくれて、母に怒るっていうワークをしたんです。そこで初めて母に怒れました。周りがうまくそれをサポートしてくれたんですが、あんなに人に怒ったり、突き放せたことを体感したのはすごく自信になって、私の中で大きな体験でした。
母のことをずっとかわいそうだと思っていたんです。家族の犠牲になっていると思ってたから、だからお母さんの味方で居てあげなくちゃと思って意見も言えなかった。専業主事を強いられて働けなかった母の代わりに仕事もしっかりして、お金も稼いで。でもやっぱり実家に帰って母を目の前にするとすごく苦手だった。子供の前でも母の前でも、苦しかったんですね。ずっと。
百ちゃんに別の機会でワークを受けた時、私はずっと母が家族の犠牲になっている、無力で弱い人だと思っていたのに、母にものすごいエネルギーがあってびっくりしたんです。そっか、無力な母は全部自分が作り上げた想像だったんだ。母と私は違うんだって気づきました。」
久松「ワークの中でそれに気づいたんだ。改めて、子育て中のお母さんにとって、ゲシュタルト療法ってどんなふうにいいか、教えて」
しほ「ゲシュタルト療法のワークを受けることで、私は私のことを私のものとして扱うことができるようになるし、子供のことは子供のこととして扱うことができるようになるし、家族の中の出来事を家族のものとして扱えるようになったなって思います。以前は全てごちゃごちゃでした。自分の問題にしてしまわなくて済んだというか。子供がきついことを言われても、子供がきついことを言われたんだ、私じゃないんだって思える。」
久松「境界線を引けるようになったっていうこと?」
しほ「そうですね。それがすごく大きい。子供のことも信用できるようになった。自分のことも信用できるようになった。家族一人一人が解決する力を持っているんだって言うことを信用できるようになったと思います。もちろん不安になることはあるけれど、自分が自分でいれるっていうことがいちばん大きいかな。家族は家族でいれるし。」
久松「いいっぱなしのグループとか、カウンセリングと違ういいところもあったの? ゲシュタルトって」
しほ「うーんそうだな、全然違うかな。育児書に頼ったり1回きりの子育て相談にも行きました。友達とランチして「もう少し大きくなったら楽になるよ〜」なんて言われたり。
でも私には、自分に向き合う機会が必要だったんだと思いました。
子育て中に不安なことがあると、自分を問われているように感じることもある。でも勘違いでした。
子供はまっすぐで「今、ここ」しか生きてない。言うことも聞かないし。だけどゲシュタルトによって、この子に今何が起きているんだろうって思えるようになった。学校や幼稚園から帰ってきて落ち込んでいる顔を見ても、詮索しなくてもよくなったというか。多分今この子には何かが起きていて、その感情に合う顔をしているんだなって、だからタイミングがきたら聞くけれども、言いたくなかったら言わなくてもいいって思える。そして、私にして欲しいことは何なんだろうって。前よりは待てるようになった。
子育て仲間でワークして、本当の自分の気持ちに気づけたら、家に帰って「今、ここ」を生きる子供たちと過ごす。家庭が正にゲシュタルトの実践の場でした。私はどうしたい、って今も自分に聞いてます。
もう1つあります。母と私、私と子供たち、何かが続いているんだということにも気づけました。そして自分の辛さと向き合えた時に、子供には続いてほしくないなと思いました。家族連鎖、世代連鎖のことを知って、あ、私連鎖ど真ん中にいるんだと。こりゃ自分の問題は自分で解決させとかないと、終わりにしないとまずいなと。
今振り返ると、ゲシュタルトで知ったことの全てが子育ての日常に使えるなと感じています。子供って本当に自分に近い場所で成長するので、ちゃんと別の人間として理解して境界線を引いとかないと、支配もできちゃう。悩みがなくなった訳じゃないけど、ちゃんと私と二人の子供と「今、ここ」を過ごせるようになったのは本当によかったなと思っています。」