
プレイバック・シアターとは、脚本なし、打合せ無しで演じる即興劇である。GNK(ゲシュタルトネットワーク関西)では、ファシリテーターのトレーニングの一環として取り入れている。
プレイバック・シアターを行うにあたり大切なことは、語り手(テラー)のストーリーを変えないということである。悲しいものは悲しいままに、怒りは怒りのままに、楽しいことは楽しいままに。それはゲシュタルトセラピーも同じことである。
以下は、トレーニング生の体験である。
「さぁ、見てみましょう。」
自分の心の奥深くに引っかかっていて、何となく胸がきゅっとなってしまう遠い昔の経験。ある人を怒らしてしまった経験。
その経験は今も時折顔を出して、私の行動や意思決定に影響を及ぼしてくる。
時には私にとってマイナスとなる影響も。
今までこの経験を当時私はどのような意味としてとらえ、そして今もそれを実生活にどのように活用しているのか知りたくて、カウンセリングを何回も受けてきた。
カウンセラーと対話を重ね、ともに当時の体験を追体験し、その時何を思い、何を感じ、そしてその経験をどのような意味として捉えたのか振り返ってみる。
目に見することのない心の中で。
それなりに気づきもあり、従前より自己理解が深まった様な気がする。
でも何かもっと深い所に何かがある様な気がしていて、もやもやとした感じがなんとなく残ったまま。
そんな中で、今回プレイバックシアターを体験してみた。
自分がファシリテーターの質問を通じて、その心の奥深くに引っかかっている経験を自分の物語として語り、その話を他の人が劇として再現してくれる。BGMを担当する人はその経験を様々な楽器を使って音で再現してくれる。
最初は、大げさな演出に違和感を感じていたものの、次第にその演出が大げさなものでないない様な気がしてきた。
私は次第にプレイバックシアターに自分の心の奥深くに引っかかっている経験を投影し、没頭して見ているようになっていた。
そこには、昔の私と、私が怒らしてしまった人がいた。
いつもは心の中でしか再現されない心に残る経験が、目の前にありありと再現されていた。そして胸がきゅっとなってしまう感覚がよみがえってきた。
本音では私は悪くないと思い込んでいたけれど、その人が怒るのは当然であるような振る舞いをしていた昔の自分を思い出した。
そしてプレイバックシアターは終わった。
いつも心の中で再現する経験は、過去の自分を肯定したいがために、意味づけた経験であって、ありのままの経験を再現していなかった。
だから、もやもやしていたんだ...
プレイバックシアターの体験はこんなことを私に気づかせてくれた。