
河本英夫さんの『哲学の練習問題』(講談社学術文庫)という本を読んでいたら、真っ白な紙に「あ」という文字をたくさん書いて埋めて、「あっと驚く情景」を形象化してみる、という「練習問題」がありました。
ちょっとやってみて、いくつか手順をつけくわえて、ゲシュタルト療法のエクササイズに仕立ててみました。
とりあえず、いろんな大きさや形の「あ」を書いてみます。
「書く」というより、「描く」に近い感じです。
小さい「あ」
大きい「あ」
力強い「あ」
弱々しい「あ」
なが〜い「あ」
ひねくれた「あ」
「あ」じゃないみたいな「あ」
だんだん「あ」が「あ」じゃなくなってきて、ゾワゾワします。
「ゲシュタルト崩壊」という言葉が心理学にあります。
ファウスト(Faust, 1947)という心理学者が、図形などを注視し続けると次第にそのパターンの全体的印象が消失し、わからなくなってしまうという失認の現象を”Gestaltzerfall”(ゲシュタルト崩壊)と名付けました。
漢字などでは、このゲシュタルト崩壊がよく生じますよね。
小学生がよくやらされる「百字帳」に同じ漢字をたくさん書いて覚えるという練習も、あれは、書いているうちに「この字ってなんだっけ」「なんか妙な気がする」とゲシュタルト崩壊が起こるような課題です。
この現象は、パターンを構成している部分の知覚は変化しません。
でも、全体としての形態的なまとまりが失われてしまうのです。
さて、エクササイズの続きです。
たくさん書いた「あ」を声に出して読んでみましょう。
大きな「あ」は大きな声で、
変な形の「あ」は変な声で、
それぞれの「あ」から受ける印象は同じでしょうか?
それとも違うでしょうか?
読み上げているうちに、どんな感覚が生じてきますか?
落ち着かない感覚。
ざわざわする感覚。
それとも面白いとか、つまらないとか、そんな感覚や感情?
そのフェルトセンスを感じてみてください。
日常生活やこれまでの人生で、その感覚に似た出来事や人間関係を体験したことはあったでしょうか?
「この感じは、人生の中のどの体験に似ているかな」
という問いかけを自分にしてみてください。
そして、紙いっぱいの「あ」と、思い浮かんだ体験を、行ったり来たりしてみます。たまに「あ」を声を出して読んでみてもいいかもしれません。
思い浮かべた体験とぴったりくる「あ」もあれば、「これはちょっと違うな」という「あ」もあるでしょう。
「こんなことしてなんの意味があるの? 無意味じゃないか」
なんて思考が働き出したら、それはちょっと横に置いておきましょう。
「あ」と体験を行き来しているときの、身体の感覚や呼吸はどんな感じか、観察してください。
どこか緊張していたり、息が浅くなったり、あるいは深くなっているかもしれません。
それに気づいたら、自分にとっていちばん自然で楽な呼吸や姿勢を探してみます。
それからまた「あ」と過去の体験に戻ってみたり。
「あ」という文字や過去の体験に対する印象や感覚が、最初と変化してきた人もいるかもしれません。
一度、崩壊したゲシュタルトは、自然と、新たな全体性(意味)を形作っていきます。
新しいゲシュタルトは、あなたにとってどんな感じですか?
最初のより心地いい? それともあまりよくない?
他にどんなことに気づきましたか。
気づいたことをノートに書き留めるなどしておいたら、このエクササイズも、単なる暇つぶしではなく、ちょっと意味のあるものになるかもしれません。
「あ」ではなくて、別の言葉でやってみたらまた違う発見があるでしょうか。
たとえば、「怒」とか「憎」とか、「愛されてない」「私はダメな人間だ」とか、こうした言葉に「縛られている」と感じているときに、同じようなことを試してみると、言葉や体験を揺さぶって、新しい視点を見つける手がかりになることもあります。
自分の名前をいろんな形で何回も書いたら、「私」という感覚がどう変化するか、ちょっと怖い気もしますが、やってみたら何かに気づくかもしれないですね。自分のことが気になって仕方ない人は試してみて、結果がどうだったか教えてください。
そういえば、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)でも、捕らわれている対象のことを何十回も繰り返し言ってみることで、言葉や概念から少し距離を置くことができる、というエクササイズがありました。