反省させると犯罪者になります。
再犯防止プログラムとゲシュタルト療法

元受刑者の方々を交えてのゲシュタルト療法@ZOOMを開催します。浄土真宗の経典のなかに、罪を犯した者こそ救われる。という一説があります。
「悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは「阿弥陀仏の視点」による善悪である。
法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。ウキペディアより
実際に、私の体験ですが近くに住む元受刑者のおじさん。私は、なるべく関わりたくないと思って避けていました。そうすると、嫌がれせが始まりました。家に小さなペンキのあと。黒いポストの柱に白のペンキがペタっとついています。あっやられた!と思いました。私は、益々避けるようになります。ツンって感じです。益々嫌がらせはエスカレートしていきます。ドアを開けると枯葉やらゴミが散乱しています。また、やられた!っと思いました。
さて、どうしよう?と考えました。警察に?いやいや!後で余計に怖くなるかも??(警察にいうことも場合によりいいと思います。)
私がそのゴミを掃除する?いやいや、毎回そんなことしてたらたまらん!!
考えた挙句、おじさんのところに行きました。「おはようございます♪😊このゴミ掃いてもらえると助かるんですけど」
なななんと、、、、、
おじさんは、一瞬で「あ~すまんすまん」と言いながらゴミをかたずけてくれました。
ほっ!(●´ω`●)よかった~。
そのあと、おじさんから挨拶はしてくれるは、枝切りばさみを借りに声をかけたら、木の枝は切ってくれるは、自転車は修理してくれるは。と大変身されたのです。
このことをよーく考えてみました。
このおじさんは、ずっとこんな対応をされてきたのではないか、と。
私がしたみたいに、人から避けられたり、嫌なものでも見るような対応をされてきたのかもしれないなぁと思いました。
私もその一人です。
こちらから関わるのは勇気がいるけども、実際に関わってみないなとその「人」と言うのは分からないものだと思いました。
罪ゲシュご一緒できれば
