グリーフケア(悲嘆)からのレジリエンス(回復)
グリーフ(grief)とは
- 〔人の死などによる深い〕悲しみ、嘆き、苦悩
・Grief shows in her face. : 彼女の顔に悲しみの表情が現れている。 - 心痛[悲嘆]の原因◆深い悲しみをもたらす状況や出来事を指す。
- いら立ち、欲求不満
*英辞郎on the WEBより。とあります。
が、喪失体験は人の死だけとはかぎりません。ペット、職業、恋人との別れ、大切にしていたペンダントなど。
今まで一緒に当たり前のように居た人、そこにあった物、あるいは写真、家、土地、友人との別れなどもあるかもしれませんね。
喪失体験後の感情や感覚には、悲しみだけではありません。怒り、不安、嘆き、落ち込み、体が鉛のようになり動けなくなる。あるいは、悲しんではいけない。元気でいないと故人が悲しむ。悲しみを感じない。あるいは亡くなったことにホットする感情もあります。このような感情は人によって様々ですが、一人の人の中にもこれだけの感情がカオスとなっている場合もあります。
そして、これは特別なことではなく、自然なことです。大切な人を失った、ものがなくなった、風景が壊れてしまった。など、今まで当たり前にあったものがなくなる事は、心にポッカリ穴が開く感じになる事かもしれません。
大切なことは、どの感情にも良い悪い、の評価を与えません。
これらを、一つずつ丁寧に看ていきカオス(混沌・混乱)になっていたものに居場所を与え、きづいてあげる事です。どんな感情も悪者ではなく、あなたを守ってくれるものです。
カオスとなった感情


エンプティチェア(空椅子)
ゲシュタルト療法では、エンプティチェアという技法があります。
その人にやものなってみるという体験です。演じるということではなく、空椅子を置いてその人の席に移動し、その人を感じてみるのです。そこから対話が生まれ、止まっていた時間が、何かが動き出す。かもしれません。そして、未完了だった、本当にその人に伝えたいこと、本当に欲しいものが見つかる。かもしれません。見つかった時の「気づき」、その瞬間を、「mini悟り」とゲシュタルトでは呼んでいます。時には「great悟り」もありますけれどね。
百武正嗣さん著書

未完了な問題(Unfinishud Business)
未完了となった思いは,繊細な感覚として「からだ」に残ることがあります。それは,ポーラ・バトムによると,フローズン・ファイアーと呼ばれる(百武正嗣 2009年)。からだに残る感覚に,やさしく触れていき「今、ここ」で十分に表現することをサポートすることが必要なのです。そのためには,守秘義務が守られ,批判されない,安全な場が必要です。
また、回復には緩やかな右肩上がりであろうと,波型であろう,個人の喪失の癒しには形はなく,その人特有の形や時間の流れが存在することも知っておく必要があります。
パールズ(Perls,F.S.1990年)は、「亡くなった両親への嘆きが中途半端になっていて,それが未完結の感情として残されている人を例に挙げている。「自分を導いてくれる両親がまだ生きていて,今もなお,彼の生活全体を指導し,方向づけているように振舞っているものである。自分で自分を支え,あるがままの現在に生きていけるようになるためには,親としっかり別れ,最終的な『さよなら』を言わなければならない。その時に中断された感情を出し切り,自分のものにしなければならない。中略,未完結なまま置かれているものであり,本当に消化され, 統合されるのを待っているのである。それは「今,ここ」の現在でなければならない」と述べています(Perls,F.S.1990年)。
死と生”は有機体(命あるもの)にとって自然なことです。
自死遺族
私は、身近な大切な人の“自死”という世間から認められにくい“死”に出会ったことで我々は、意味を見出すこととなったのです,豊かな人生を生きるために。
また、浄土真宗の教えに「往相(おうそう)・還相(げんそう)」があります。その意味は,亡くなった人がお浄土にいき悟りを開き仏となり,再び娑婆に戻り人々を教化。よい方向へ導くための働きかけをすることです。(三井秀城2019年)。
真にこのことを「今、ここ」のゲシュタルト療法のワークの構造「有機体+外界=場」(Perls,F.S.1990年)の中でクリエイト(創造)する体験なのです。
ひとりじゃないんだよ
今でも影響を与え続けていた実態のない亡霊と別れ,亡き人と共に,自分の人生を生きていくのことなのです。【ひとりじゃないんだよ】自死遺児編集委員会・あしなが育英会2002年ということです。話ができる場があり、聴いてくれる相手がいるのです。
“明白なる現象の哲学“とパールズ(2002年)はいっている。人,自然現象,時間,志向性,生と死,内在的なもの,それらを統合して豊かな全体性を,プロセスの中で生きる意味を我々は見ることができる目をもっているのだと、私は感します。
私自身の喪失体験とグリーフケアは、記事の中にありますのでご覧ください。↓ ↓ ↓
執筆 白坂和美