GNK/ゲシュタルトネットワーク関西
ヨーガ・ソマティック・ゲシュタルト療法

先日、ゲシュタルト・セラピーのトレーニングコースの最終回が開催されました。1年、もしくは2年間トレーニングを続けてきたメンバーの、とりあえずの一区切りです。
本当は3日間、合宿で行う予定だったのですが、新型コロナウイルスの緊急事態宣言が続いていることもあり、オンラインで実施しました。
この1年間は、学会もセラピーグループも、Zoomで行うことが多かったので、できればみんなで対面で会いたいなあという気持ちもあったのですが、こればっかりは仕方がないですね。

毎年やってるらしいバンジージャンプを飛ばなくて済んだのはほっとしました。

新垣結衣さんと星野源さんが結婚しはったというニュースを聞いて、今頃『逃げるは恥だが役に立つ』を観ているのですが、ハグって今のコロナの時代、そうそう簡単にできなくなったから貴重だよなあ、なんてことを思ったりしております。

ゲシュタルト療法の場では、ハグしたり押したり引いたりなんて身体接触が起こることもあるのですが、オンラインだとそれはできません。
でもZoom越しだって、できるだけ相手の身体や存在を感じながらコンタクトするという工夫も大事したいですね。

講師は百武正嗣さん。
3日間、それぞれの日にテーマがありました。
初日は「対話」
二日目は「夢のワーク」
最終日は「ソマティック」
がテーマでした。

いっしょに参加したメンバーたちに「せっかくだから感想やレポートを書いてよね」とお願いしているので、ここでは三日目の「ソマティック」について、何か書いてみることにします。

ソマティックとは

「ソマティック」(somatic)という言葉は、「生きた身体」といった意味があります。

心理療法とかカウンセリングというと、「トーク・セラピー(おしゃべり療法)」のことだと思われがちですが、現代の心理療法で、ソマティツクなアプローチが注目されています。とくにトラウマ臨床においては、身体と神経系の理解が欠かせなくなってきました。ゲシュタルト療法は、パールズが大きな影響を受けたライヒとともに、ソマティツク心理療法の源流のひとつです。

2014年に、日本ソマティック心理学協会が設立されており、身体心理学や身体教育、ソマティックな視点からの霊性について、サイコセラピストやボディワーカー、ダンス、グリーフケアなど、さまざまなアプローチで心と身体の関係性が探求されています。

ヨーガとホメオスタシス

百武さんは、人間や動物が生きていくために持っている3つの機能ー気づきの能力、自己調整機能、恒常性の原理ーについて触れた後、ソマティックなアプローチの始まりでもあるヨーガについて話してくれました。

5000年前のモヘンジョダロの遺跡などからも、ヨーガのポーズや瞑想しているような姿が描かれた出土品が見つかっているそうで、人はそれくらい昔からヨーガとか瞑想をしていたってことなんですね。

ヨーガには、
・調身(Asanas)
・調息(Breathing)
・調心(Meditation)

の三つの側面があり、最初の二つができてないと、調心(瞑想)は難しいんだそうです。

調身(Asanas)とは、いわゆるヨーガのポーズで、特定の動きや姿勢をとることで筋肉が緊張と弛緩を繰り返します。
それによって、気づきの能力や自己調整機能が働きやすくなるのです。

調息(Breathing)とは、呼吸法のことです。
呼吸は自律神経の調整に役に立ちます。自律神経は、意思と関係なく、身体機能を健康な状態に保つために働いています。
暑かったら汗が出るし、息苦しかったら呼吸が大きくなります。

自律神経には交感神経と副交感神経があって、交感神経は、活動するとき、特に緊張やストレスがあるときに活発になります。
副交感神経は、リラックスしたり、休息のときに働くもので、この二つのバランスが大事なんですね。
呼吸は、ふだんは無自覚に行っていますが、意識を向けることで深い呼吸にしたり、ゆっくり吐いたりすることができます。
この呼吸によって、緊張やストレスを緩和させることもできるのです。

ゲシュタルト療法でも、ファシリテーターが「今、どんな呼吸をしている?」「少しゆっくりと息を吐いてみてください」といったように、呼吸に意識を向けてもらうような介入をすることがあります。

身体や呼吸を整えることで、心(感情)の興奮を沈めたり、脳があれこれ考えて興奮しているのを鎮めることができます。
これが「調心(瞑想法)」ですね。

調身(Asanas)、調息(Breathing)、調心(Meditation)
この三つによって、身体・神経系・心がホメオスタシスを取り戻すことができる、ということなんだと思います。

ヨーガの哲学と実践法は、マインドフルネスや座禅などにもつながっています。
また、トラウマ(心的外傷)のセラピーにも、ヨーガが取り入れられているようです。
そういえば、『トラウマをヨーガで克服する』という本がありました。
著者のデイヴィッド・エマーソンとエリザベス・ホッパーは、アメリカの精神科医ベッセル・A・ヴァン・デア・コークが設立したトラウマ・センターで、トラウマ・センシティブ・ヨーガを実践しています。

(この本については、「いつも空が見えるから」というブログの「ヨーガで身体の声を聞く―トラウマや慢性疼痛に身体セラピーが役立つ理由」という記事でとても詳しく紹介されています。もう本読まんでもええくらいや笑)

トラウマをヨーガで克服する 単行本 – 2011/12/22 デイヴィッド エマーソン (著), エリザベス ホッパー (著),
『トラウマをヨーガで克服する』

百武さんは、ヨーガとフェルデンクライス・メソッドを長年経験されているので、ゲシュタルト療法のベースにソマティックなアプローチがあるのは自然なことなんでしょうね。
「僕はゲシュタルトとフェルデンクライスを区別していない。同じものだと思っている」
と話しておられました。

心理療法とソマティック

続いて、心理療法とソマティックの関連のお話。

ソマティック心理療法の祖としてのフロイト

実はフロイトの精神分析における性の発達理論も、ソマティック心理療法の源流と考えることができるのだということです。
口唇期(Oral stage)、肛門期(Anal stage)、男根期(Phallic stage)といった発達段階ですね

フロイトのリビドー概念は、ウィルヘルム・ライヒやアレクサンダー・ローエンなどに受け継がれて、エネルギー心理学の流れにつながっている、ということなのかな。

そういえば、昔、島根を旅行したときに、「リビドー」という名前のケーキ屋さんを見つけてびっくりしたことがありました。本題とは関係ないですけど。

ユングのクンダリニー・ヨーガ研究

ユングが研究したクンダリニー・ヨーガの話も面白かったです。
クンダリニー(Kundalini)というのは、ヒンドゥー教において、人体にあるとされる生命エネルギーを意味しています。
サンスクリットで「螺旋を有するもの」といった意味もあるようです。

ユングのセミナーの記録である『クンダリニー・ヨーガの心理学』という本が手元にあったので、それをパラパラめくりながら話を聞いていました。

クンダリニー・ヨーガの心理学 
C・G・ユング (著), ソーヌ・シャムダサーニ (編集),

せっかくなんで、wikipediaから、クンダリニー・ヨーガのチャクラの図を貼っておきます。
こういうのを見ると、ポリヴェーガル理論とクンダリニーの関係についてとか、あれこれ連想が膨らみますね。

ヨーガにおける微細身とチャクラの図

ライヒとボディ・サイコセラピー

続いて、ウィルヘルム・ライヒが登場します。

1900年のライヒ。かわいい写真にしてみた

昔、『ムー』という雑誌があって(今もあるのか)その特集でライヒの「オルゴンエネルギー」が取り上げられていた記憶があります。
宇宙にはオルゴンエネルギーという根源的なエネルギーがあり、オルゴンボックスにそれを集めて患者を入れることで、治療できるといった発送です。
科学的な実証が十分になかったこともあって、心理療法の歴史の中ではライヒは異端扱いされてきたようです。

Orgone accumulator

Wikipediaを読むと、ライヒはアルバート・アインシュタインのところを訪ねてオルゴン・エネルギーについて議論したこともあるそうです。ライヒからオルゴンの蓄電器を送られたアインシュタインはそれを使っていろいろ実験しましたが、最終的にはライヒの考えを否定しました。

この一件で、ライヒとアインシュタインはもめてしまったようです。

大学院生時代に、小此木啓吾先生が翻訳した『性格分析 -その技法と理論』という本を、読んだことがありました。

ライヒは、自分の自然な欲求や感情を抑圧した柔軟性に乏しい性格パターンを「性格の鎧(character armor)」と呼んでいます。

性格の鎧は、ある筋肉の緊張だとか、姿勢に表現されている、その人の防衛のパターンです。

その防衛を分析することで、より自然な欲求や感情を表に出すことができるというのですね。
フロイトの「エスあるところに自我あらしめよ」といった治療観・人間観と対照的に、ライヒは、エスの開放、性的な開放といった方向性を持っていたようです。

また、ライヒは呼吸や筋肉の緊張に注目し、筋緊張を開放することで、セラピーのプロセスを促進しようとしました。

ライヒの考え方は、ライヒアン・セラピーや、パールズのゲシュタルト療法、種々のボディ・ワークなどにも大きな影響を与えています。もっと見直されてもいい人物ではないかと思います。

ソマティック・ゲシュタルト

パールズのゲシュタルト療法は、もともとソマティックな視点を持っていましたが、パールズ以降のゲシュタルト療法家は、どちらかというとあまり身体に注目しなくなっていったそうです。

その理由を百武さんに聞くと、一つは保険診療で心理療法が行われるようになって、グループではなく密室で一対一でセラピーが進むようになったからとのことでした。
アメリカは訴訟社会なので、身体接触が問題とされて訴えられるセラピストが出るなどして、だんだん身体がタブー視されるようになってきたんだそうです。

また、ローラ・パールズの対話を重視するスタイルの影響もあるようです。

だからこそ、再度、ソマティック・ゲシュタルトという視点を共有したいとのことでした。

講座では、「Somatic Experiencing (ソマティック・エクスペリエンシング)」とゲシュタルト療法の似ているところ、違うところなども話題になりました。

SEのデモ・セッションを体験したことがあるのですが、ゲシュタルト療法と比べると、フォーカシング寄りというか、より繊細で丁寧なアプローチと、ホットなところとリソース(安全なところ)のいったりきたりが印象的でした。安全にプロセスを進めることができる、というところと、ちょっともどかしい感じもあったのを覚えています。トラウマ・セラピーに焦点づけられているので、より安全を大切にしているということなんだと思います。

ゲシュタルト療法が丁寧じゃないってわけじゃないんですが、こっちはよりダイナミックな傾向がありますね。

だからこそ、ファシリテーターの繊細な眼差しと感覚が必要になってくるんですね。

フェルデンクライス・メソッド

モーシェ・フェルデンクライスが創始したフェルデンクライス・メソッドについても触れられていました。

日本フェルデンクライス協会のサイトから、説明を紹介しておきます。

このメソッドは、身体に心地よい動き(呼吸や声、目や口、腕や脚、背骨や骨盤などの部分的或いは全身の動き)を通し、全身の骨格や筋肉がどのように連携して動いているのかを詳細に体験することで、脳を活性化し、神経系を通してより自然で質の高い動きと機能を身につけていく、学習のためのレッスンです。心地よい体の動きで活性化された脳は、これまでの身体の無駄な動きや力の使い方に気づきながら、如何にすれば余分な力を使わずに効率よく楽に動くかを学習します。その結果、心と身体の双方にわたって無駄な緊張が解きほぐされ、持てる能力を充分に発揮することが可能となります。

フェルデンクライスとはー日本フェルデンクライス協会

Awareness Through Movement (ATM) = 動きを通した“気づき”というグループ・レッスンを何度か体験したことがあるのですが、赤ちゃんの寝返りの動きを1時間かけて探求したり、口蓋を舌先で丁寧になどってみたり、細やかに丁寧に体を動かして感じてみることで、いろんなことに気づきます。

「耳と鼻って、ここでつながってるんだ!」なんてことを発見します。耳と鼻は、耳管という管でつながっているんですね。

それを知ったから何やっていうねん、と思われる方もいるかもしれませんが、パソコンの仕組みを知ることより、自分の身体の仕組みについて知ってた方が生き物としては生き抜きやすいってこともあるかもしれませんよ。

モーシェ・フェルデンクライスは、嘉納治五郎のもとで、外国人として初めて柔道の黒帯を取得し、西洋に柔道を広めたことでも知られています。

フェルデンクライス、柔道の創始者・嘉納治五郎と出会う

という記事に詳しく書かれていました。

ゲシュタルト療法の哲学的背景

最後に、ゲシュタルト療法の哲学的な背景についてもお話されました。

ゲシュタルト療法は、現象学と実存主義に基づいた心身一元論的な心理療法です。今回、特に取り上げられていたのが、メルロ=ポンティの哲学でした。

Maurice Merleau-Ponty
Maurice Merleau-Ponty

メルロ=ポンティの間主観性や間身体性の議論が、ゲシュタルト療法に関わるところなのでしょうけれども、このあたりは難解なので、また項を改めて考えてみたいと思います。

松岡正剛さんが『知覚の現象学』について書いたエッセイから、メルロ=ポンティの哲学とゲシュタルト心理学の関係について、覚書のためにちょっと長々と引用しておきます。

 メルロ=ポンティの前半期の思想は1942年の『行動の構造』(みすず書房)に結実している。大きくは2つある。
 第1には、身体の自覚がない哲学は人間についての言及をもたらさないという見方を確立したことだ。実存哲学者のガブリエル・マルセルが『存在と所有』という本で「自分の身体」を持ち出したことにヒントをうけて、人間は自分の身体をつかって何を知覚しているのか、何を身体にあずけ、何を意識がひきとっているのかという問題に突き進んでいったことがきっかけだった。マルセルは「自分の意のままにならない身体感覚」がありうることを不随性(indisponibilite)とよんだのだが、そこにメルロ=ポンティは関心をもったのである。
 第2には、知覚と行動のあいだは相互射影的な関係をもっているだろうという見方の確立だ。これについてはゲシュタルト心理学からの影響が大きかった。それまで、生体の行動は一定の要素的な刺戟に対する一定の要素的な反応のことだとみなされていた。複雑な行動もこれらの組み合わせによっていると考えられた。要素還元主義である。
 ゲシュタルト心理学はこの見方をまっこうから否定して、同じ刺戟がしばしば異なった反応になることもあれば、要素的に異なった刺戟が同じ反応をひきおこすこともありうることを例にあげ、生体というものは刺戟の個々の要素的内容に対応しているのではなく、個々の要素的な刺戟がかたちづくる形態的で全体的な特性に対応しているという仮説をぶちあげた。この形態的な特性のことをゲシュタルトという。
 ゲシュタルトという見方はメルロ=ポンティに大きなヒントをもたらした。たとえば神経系のどこかの部分が損傷をうけたとすると、それによって一定の行動が不可能になるのではなくて、むしろ生体の構造のなかでこれを知ってこれを補う水準めいたものがあらわれてくる。何か「補うもの」が動いていたのだ。これは見捨ててはおけない。知覚と行動のあいだ、また意識と身体のあいだには形態変換をともなう“補いのパースペクティブ”のようなものがはたらいているのではないか。メルロ=ポンティはそのことに気づいたのである。それらはどこか相互互換的であり、関係的で、射影(profil)的だった。それをとりもっているのがゲシュタルト的なるものだった。
 このような見方はデカルト的な心身二元論を決定的に打破するものとおもわれた。それとともに、ゲシュタルト心理学者たちがゲシュタルトを自然界や対象界にあるものとみなしたことにこだわらず、ゲシュタルトの正体が知覚や意識の内側にもあるはずだということを予感させた。

松岡正剛の千夜千冊

というわけで、百武正嗣さんによる刺激的なレクチャーのご紹介でした。

午後は午後で、CFO(Client-Facilitator-Observer)の練習をしたり、個人ワークがあったりと、盛り沢山で学びの多い時間となりました。

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